『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボした献血ポスターを都合良く排除しようとする意見は、ハッキリ言って不快である

正直この件について、

お前らいい加減にしろや

と思っているのでその辺りを書きます。

今回の意見の前提

まず、私は 『宇崎ちゃんは遊びたい』と言う作品を読んだ事が無いし、 また フェミニズムという思想 についても、その歴史やメインとなる意見についても詳しくなく 、 どちらについても ほぼ情報を持ってない と言うのは最初に言っておきます。

また、件の騒動の発端となった弁護士さんの普段の言動についても私は詳しくない し、 この意見の賛否の意見について深くも追ってはいないので、そもそもどう言った意見が有るかや、 そもそもこの意見の妥当性はどうなのか、についてもあまり深く理解している訳ではありません。

しかしながらここ最近、ニュースやブログなど購読で 件のポスターが公共に相応わしくない 、 という事柄についての記事を見聞きする機会が増え、そう言ったことを見聞きする度に、 排除の理論を都合良く振りかざすひとが居る のが正直言ってかなり不快 なので、 今回はその話を書きたいと思います。

『件のポスターは公共に相応わしくない』と言う意見について

まず最初に自分の意見を言っておくと、『宇崎ちゃんは遊びたい』という作品とコラボした献血のポスターについて、 私自身としては、

うーん。これは場合に不適切かもしれないけれど、排除すべきモノという類いではないのでは?

と感じているのが正直な所です。

ただ、

医療などで使う血液の絶対量が足らない

と言う前提が有り、献血によって血液を確保しなければ医療に支障が出る と言う状況でその表現が不適切になり得るとしても、 献血の成功率を上げるためには致し方ないのでは? と私は考えています。

そのため、こう言ったコラボポスターについては多少の不適切さが有ったとしても、 その目的を達成しなければ人命に関わる事態となる と言うのであれば、 その手段について四の五の言ってられないでしょ というのが私の意見です。

それで私個人としてはこういったポスターについては、部分的に不適切さが有るにしたとしても、 その目的を実現するための手段としては総合的に判断すればアリなんじゃないか と考えている訳ですが、 中にはこれが『不適切で公共の場に相応わしくない』と言う意見を持つ方が居る、 と言う事については、私としては特にこれを問題視するつもりもなく、 またその意見を引っ込める必要もない、と考えています。

しかしながら問題はその先で、インターネットで見聞きする言動の中には、 こう言った 『このポスターは不適切だ』という意見がさも当たり前という前提に立ち 、 あまつさえ 公共の場から排除するのは当然だ みたいなことを言っている意見については、 正直、私はかなりの不快感を覚えています

『排除の理論』を都合良く振りかざすひとたち

先にも述べたように、私は、

『宇崎ちゃんは遊びたい』とコラボしした献血ポスターは不適切

という意見を持つこと自体については、私は特に問題視する必要もないと言う考えを持っています。

しかし現実として、この意見は皆が従って当然 だとか、 あるいは この手のポスターは排除されてしかるべきだ と言う様な意見については、 正直、 私にとって不快と言う以外の何者でもない です。

と言うのもこの手の意見は、そのポスターに不適切が有る無しに関わらず特定の事柄(表現・手法など)を社会から強制的に排そうとする排除の理論そのもの であり、 往々にしてその手の意見は その理論を都合良く振りかざしているから です。

確かに件のポスターは 女性の女性的な面を強調し、ある種、女性を(性的に)消費する側面も持っている というのは否定できないと私でも考えてます。

ですが その手の加害性は他の事柄についても言える事 であり、 さっと思い付く例を上げれば、

殺人事件をテーマとした創作物 は、刑事事件を物語として消費している

だとか、あるいは そういった人間を性的消費することに限る のであれば、

(恋愛対象の性を持つ)アイドルや歌手などの追っかけ は、その対象を 疑似恋愛の対象として性的消費している

だとか、もっと言えば、

恋愛対象の性を持つ相手を性的な目で見る のは、その相手を性的消費する事他ならない

とも言える訳ですよね。特に最後の例については、恋愛感情や性的欲求を他人に対して抱かない、 いわゆるアセクシャルの方々からしてみれば、別に意見として存在してもおかしく無いでしょうし。

そして、そう言った 物事が本質的に持つ若干の加害性を持ってして特定の表現・手法を排除するというのが是である のならば、 今の世の中はそう言った加害性のある表現・手法に溢れている 訳で、 それ故に この世のほどんとの表現・手法はこの世の中から排除しなければならない という事になります。

しかしながら上記の様な主張は 世俗に居るかぎりほぼ現実的な意見ではなくそう言った主張を完遂しようとする のであれば 宗教的に世俗から出家して世俗との関係を断ち切るほか無い か、 もしくは 社会全体を相当に禁欲させるしか方法論としては有りません

無論、そういった禁欲社会を実現するために 真面目に禁欲に取り組み、それを実現するための活動も行っている のであれば、 それはそれで 一つ筋の通った主義・主張である かとは思いますが、今回の騒動に言える様に、

(ポスターなどの)物事が持つ、対象を性的消費する側面を見出せるモノ

に対し、ある特定の物事だけにそれを適用し、それだけを排除しようとする というのは、 私には、

排除の理論を、自分たちだけにとって都合の良く振りかざしている だけだ

としか見えないですし、私にとっては そう言った人々の行動こそ不快である 、と感じています。

以上

個人的には、この手の、

○○は不適切だから公共の場には相応わしくない(だから排除しろ)

と言う意見は、何をどう言い繕おうとも排除の理論を都合良く振りかざしているだけだ と、 私は考えているし、またこの手の意見を蔓延らせると 自由を規制する自由 の存在を許してしまう事に繋り得るので、 こういった意見や言動は、私個人としては自由主義社会にとっては害悪だとも考えています。

無論、誰かが人々に自由も尊厳も無い世界を望むのであれば、別にその意見を持つ事を止めはしないのですが、 個人的にはそれに他人を巻き込まないで欲しい、と私としては思ってます。はい。

nyarlaが大体

Scrapbox でコメントや意見を書く