Profile for nyarla
About nyarla
Fields
- Profile (ja)
- https://the.kalaclista.com/nyarla/
- Blog (ja)
- https://the.kalaclista.com/posts/
- Pronouns
- they/them
- Email (ja/en)
- nyarla@kalaclista.com
- OpenPGP
- 595E03433825AE5AD82894013993542AC175077E
Bio
「輝かしい青春」なんて失かった人。ネットでは「にゃるら」とか「カラクリスタ」と名乗っています
※ なお「NEEDY GIRL OVERDOSE」の企画・シナリオに携われた「にゃるら」さんとは別の人です
フォローにはロックを掛けていますが、相手を見て問題なさそうなら許可しています
ブログ・他のアカウントなど
- プロフィール: https://the.kalaclista.com/nyarla/
- ブログ: https://the.kalaclista.com/posts/
- GitHub: https://github.com/nyarla/
- Zenn: https://zenn.dev/nyarla/
- しずかなインターネット: https://sizu.me/nyarla/
- Misskey.io: @nyarla
運用サーバについて
この個人インスタンスでは GoToSocial の 個人的な fork を Fediverse Software として使っています
またインフラには fly.io を使っていますが、いかんせんスペックをケチっているので、Boost一発で沈むときも稀にあります。ただしその時は大抵インスタンスの再起動で直るので、別に Boost に気を使わなくとも大丈夫です
ただ ActivityPub の互換性の都合上、一部の実装・サービスとは相互通信が出来ない場合もありますので、その点はご了承ください
※ 今のところ、threads.net と相互通信が出来ないことを確認しています
Stats
- Joined
- Posts
- 2666
- Followed by
- hidden
- Following
- hidden
bird.makeup での follow が機能するとしても今のアカウントとは別枠で管理した方が良さそう。混ざるとロクなことにならなさそうな予感がある
うーん、これって Misskey.io との互換性を上げた結果できる様になった、って解釈しても良いのかな……
先程確認したところ、bird.makeup が自分のインスタンスから follow できてしまう事を知ってしまった……
まあ io はえろんちゃな人が定着しているのは知っている。が、それ以外ってどうなんだろう、って言う……
Misskey.io とか Mastodon 系インスタンスへ来た人々、結局のところ X (旧 Twitter) に戻って行っている様な気がするのは気のせいなのだろうか
ここまで書いていて思ったんだけど、今の伝統宗教も成立当時は既存宗教の異端と見做されたり、あるいは分けの分からん新興宗教と見做されていたはずなので、まぁ現代の新興宗教もあと 2000年ぐらい経てば伝統宗教になっているやもしれんな
そう言う文脈ではイスラムは啓典を堅持してきた、と言う意味では凄いんだけど、後の世代で色々あって分派が起きている、と言う意味ではムスリム達は何やってんの……?と言う感はあります。まぁ歴史とか過去にそうなってしまったから、今からは修復できなさそうだけれども
色々個人として思うに、やっぱり私は真面目に仏教を学んだ方が良いのかもしれない。
とは言え仏教って経典とか散逸してるし、そもそも元々が口伝で広まった教えだから、大本のリファレンスが残ってる、とは考えにくいんだよなぁ……
誰かを『救う』とはどう言う事か、みたいな話
昨日寝る前に書いた真の弱者は誰かとか云々の話のなかで、普通なら『救う』と書くところで『掬う』と書いたけど、あれ誤字じゃなくて意図的にそう書いたんだよね。
なんでかって言うと、物理的な事象、例えば傷病で生命の危機に瀕していると言う状況で命を繋ぐ、みたいな話は『救う』で問題ないんだけど、内心において他人を救う、なんて言うのは基本的に出来ない事柄だから。
メタ認知みたいな話になるけど、内心における『救い』とは『自分は「救われた」と認識すること』であるため、どんなに相手に尽そうとも、相手が自身を『救われた』と認識されない限りその相手が救われることは無い。
なんで内心における『救い』って究極に個人に閉じてる話で、周りが出来るのは『あなたは自分を「救われた」と認識して良いんだよ』って手助けすることぐらい。
そのためここに気がつかずに『他人を救おう』とか考えると、良くて有難迷惑、悪くて傲慢になるので、まぁやっても良いのは相手が許す範囲で困難への対処を手伝うぐらいかな、と思ってます。
ちなみに元の話はこれね:
https://kalaclista.com/@nyarla/statuses/01H81YQZRPKH11J0D6CG30ZRME
憐憫・憐れみ・可哀想と言う感情、自分を上に置き相手を下に置いている、と言う意味では完全に相手を見下している感情だし、その感情を向けられる方からしれみれば、文脈によっては完全な屈辱・侮辱になる得るので、私は基本、その手の感情は持たない様にしている